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きんしゃい有田豆皿紀行 @東急Bunkamura

 

有田の豆皿(おてしょ皿)を集めた即売会『きんしゃい有田豆皿紀行』が、6/18-6/28の11日間、渋谷・東急Bunkamuraギャラリーにて開催されます。

五八のパートナー 224porcelainのおにぎり皿をはじめとした小皿たちも販売されています。 

最近のブームの中でもお手軽な価格と持ち運びのしやすさから、豆皿は大人気で品切れ必死のイベントです。

豆皿をお探しの方は、ぜひBunkamuraギャラリーへ!

 

6/18(土)ー 6/28(火)| 10:00〜19:30

Bunkamura ギャラリー

 

きんしゃい有田豆皿紀行 オフィシャルサイト
http://kinsyai-arita.jp/

 

 

 

 

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VESTINOのエイジング
 五八の五です。
ずいぶんご無沙汰してしまいました。

今日は224のVESTINOのお手入れについて、ちょっと紹介。


224porcelainから発売しているVESTINOは国産の上質な牛なめし皮を巻いたコーヒーカップです。
ROSSO(赤)・NERO(黒)・CHOCO(チョコ)・SADLE(サドル)の4色のカラーバリエーションがあります。
熱い飲み物を入れても革越しにほんのりと暖かく手のひらに伝わり、冷たい飲み物を入れたときには結露を革が吸い取ってくれます。
もちろん取り外しもできますので、カップを洗うときは外してください。
なんといっても、一番の特徴はその経年変化、エイジングでしょう。
ROSSO(赤)・NERO(黒)・CHOCO(チョコ)は、次第に色が薄くなり、革そのものの色が表に出てきて明るく透明感が増していきます。
SADLE(サドル)は逆に色が濃くなって飴色に変化していきます。





私も普段VESTINOのサドルを使っていますが、かなり良い感じに育ちました。
初めは↑こんな感じの肌色の革が、使っていくうちにこんな感じ ↓ になりました。





でも、ちょっと気になるのが、どうしても付いてしまうコーヒー染み!
まあ、ほんとは良くないんですが、私の(個人的な)染み抜きの方法を紹介。
このくらい ↑ の染みなら、ほとんど目立たなくなります。
ですが、あくまでも裏技です。

さて、どうするかというと、おもむろにカップから革を外して・・・



思い切って革を水で濡らして放置!




↑ 濡らした状態です。


それだけです。

革全体に水が染み込むまで濡らします。
湿度にもよりますが、一日放置すると大体乾きます。





すると、こんな感じ ↑ に染みが目立たなくなります。
濃い染みは薄っすら後が残ってしまいますが、結構この方法で染みは目立たなくなります。
でも、せっかく使い込んで出てきた艶もなくなってしまいますが、使う内にまた艶も復活します。
どうしても艶が無いのが気になる方は、手でキュッキュ、キュッキュしてるとすぐに出てきますのでご心配なく。
染みが付いたら、その染みが乾く前にやった方が効果が高いです。
とはいっても、あくまでも裏技です。
多少革が縮みますので、自己責任でお願いします。

もし縮んで革がきつくなったらカップに革をはめた状態でレンジで10秒〜15秒程度(我が家のレンジの場合)暖めると革が柔らかくなってカップに馴染む。という方法もあるんですが、やりすぎると焦げて縮んでしまうというかなり危険な裏技なのでやらないで下さい!
やるならこれも自己責任で!
うちの場合、20秒レンジにかけると焦げました!



裏技紹介でした。

何度もいいますが、自己責任で!








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224夏合宿
 しばらく日にちが空いてしまいましたが、8月は出張が多く、どうも地に足がついていません。。。


さて、出張の一つについて。
五は、五八のパートナーブランド肥前吉田焼の[224porcelain]に馬渕晃さんと共にデザイナーとして関わらせていただいています。
その224の次期商品開発の夏合宿を窯元のある佐賀県嬉野市で行ってきました。






スケッチしたり図面引いたりしながら検討して、できるところまで進めてきました。






進めてきました!とは言っても、ほとんど224の代表の辻さんやアシスタントの方にやってもらうんですが。
ろくろを回してガリガリ石膏を削ってもらって原型作り。






回転体でないものは、塊から削り出していきます。
いつも私たちデザイナーがモデル作りで使う発泡スチロールとは違い固いので、削るのも大変です。
手にまめができました。


・・・・・


今回の合宿の五のテーマの一つは“釉薬”でした。
一つの色にも何通りもの色があって、いろんな性格の釉薬があります。
ムラが出やすかったり、垂れやすかったり。
かなり奥が深いですね。
さらに興味が湧いてきました。





釉薬をつけて焼くときの方法には酸化と還元の2種類があり、同じ釉薬でも違う色になります。
普通に“焼く”という言葉からイメージするのは酸化のほうですね。
酸素が足りた状態で焼くのが酸化、酸欠状態で焼くのが還元です。
釉薬が発色するのは化学反応なんですね。

蛇足ですが、ピカピカの10円玉が茶色くなっていくのも酸化、それを酢で磨いてピカピカにするのも還元です。



まだまだこれからが大事ですが、224らしい商品ができそうです。
おたのしみに!



あ、今回泊めていただいた嬉野の旅館『大村屋』さん、良い宿でしたよ。
(五は1泊だけでしたが。)
仲居さんもとてもフレンドリー!









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日経デザインに掲載されました
 五がデザインをさせて頂きました 224porcelain の『Caffè hat(カフェハット)』が日経デザイン8月号に掲載されました。
1ページ、詳しく商品について解説いただいています。





Caffè hat、大変好評をいただいています。
五八でも在庫はできるだけたくさんご用意しておりますが、お時間をいただく場合もございます。
できるだけ、お早めにご注文ください!




















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辻与製陶所/与山窯



佐賀県嬉野市に位置する「肥前吉田」。開窯は江戸時代以前まで遡り、400年以上の歴史を持つ磁器の産地です。
与山窯は、安政年間この地に初代与介が窯を開き、以来脈々とその技術を受け継ぎ発展させ現在に至っています。
「深い伝統と技術」と「時代にあった良質でリベラルなものづくり」が同居した、柔軟でモダンなスタイルが肥前吉田・与山窯の特徴です。





与山窯の歴史

創業は安政年間(1854〜1860年)まで遡ります 。

辻与製陶所は、有田において御用焼を営む「辻家」の出にして、
初代与介が吉田の地に窯を開き、
二代与三郎、三代与八、四代与四夫、五代勝利、当代が六代目となっております。

磁器から焼締まで製品の幅は広く、
「柔軟な発想でいろいろなジャンルに挑戦し、もの造りを繰り返す」
これが弊社の開発スタイルとなっています。

10年程前からテーマを決めて新しい作品を制作しており、
長い伝統に新しい感覚を調和させた、画趣の深さと画題の豊かさが特徴です。




辻与製陶所 / 与山窯

佐賀県嬉野市嬉野町吉田丁4666

tel:0954-43-9432  fax:0954-43-8219
HP:
http://www.yozan-kiln.com









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肥前吉田焼の歴史2
 

陶器製造会社「精成社」の設立

明治維新後、政府は産業を奨励し、吉田山では旧士族の出資を中心とした
精成社(社の窯)という陶器製造会社が設立される。
明治13年のことである。
この時期、陶業界は非常な好景気を迎えていた。
従来の共同用の三登り窯を廃止して、個人用の新窯を続々と造っている。
ところが明治初年の陶業界の好景気も、世間一般の不景気の影響を逃れることは出来ずに、
明治16年には大不況の波が押し寄せる。
その結果、販路を中国へと求めなければならなくなっていった。

中国との取引に成功

その当時、長崎に住んで商売を営んでいた中国人と、
大規模の契約に成功したのが副島利三郎である。
これをきっかけに吉田山では中国向けの製品を作り、再び活気を取り戻していく。
このときに大串寅二朗、石井種五郎、山口又七らが製造家として地位を築いている。
中国が頼りのこの好機は、日清戦争が始まり、中国商人が自国との輸出入便利な
神戸へと住まいを移っていくと、自然消滅のかたちをとらざるを得なかった。

日清戦争の大勝、朝鮮との貿易

次の盛況が吉田山に訪れたのは、朝鮮との取引が始まった時である。
明治22年、朝鮮の商人、恒春號、丁致国の2人が石井種五郎の紹介によって
岡三平、大渡權蔵、山口又七との特約を結ぶと生産は増大することになった。
日清の国交が断絶して朝鮮の地を戦雲がおおいはじめると一時取引は途絶えるものの、
山口又七が先駆けて朝鮮京城に近い仁川港に支店を置いた。
ついで大串音松は、伊万里の商人が朝鮮との貿易を結び、吉田焼の販路拡張に努めた。
日清戦争の大勝は吉田山に大きな利益をもたらす。
朝鮮に渡った日本人はいたる所で陶器店を開業すると、
競って吉田山に製品を求めに訪れた。
さらに製造者が直接に輸出したり、店を構えるなどして益々繁盛していったのである。

ついに錦絵付を完成

精成社が創立されたころ、錦絵の研究は盛んにおこなわれていたが、
完成をみるまでにはいたらなかった。
明治44年に有田より錦絵の経験をもつ梶原墨之助を迎えて、
副島茂八の手により吉田山でもついに錦絵付に成功することになる。
吉田焼は錦絵の完成でさらに名声を高めていく。

大正を経て現代へ

朝鮮への販路を独占していたために活況が続いていた吉田山は、
大正10年頃から販路に侵入してくる尾張・美濃の製品に悩まされるようになった。
尾濃製品に刺激を受けた吉田山の一行は、
製陶法の改良を真剣に考慮するがために尾濃陶業地へと視察に出向くのである。
当地から戻った一行はさっそく窯の改善に着手して
従来の窯を廃止すると石炭窯に切り替えた。
生産費の低減をはかると共に、素材や技術の改良にも努める。
しかし、勢いのついた尾濃製品と世界大戦後の不景気に押されて、
ついに朝鮮への販路はあきらめることになる。
再び国内向けの品作りに励み、昭和時代を迎えていく。
今では燃料も、石炭から重油、ガスへと移り変わっていった。
そして現在の吉田山では、それぞれに個性溢れる窯元が吉田焼の再びの隆盛を目指して、
日々技術の向上に励んでいるのである。




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肥前吉田焼の歴史1

吉田村にて磁鉱発見

天正五年(1577年)、佐賀の龍造寺隆信公は大村の有馬氏を攻略せんと軍を起こした。
この時の案内役は吉田の城主、吉田左衛門大夫家宗である。
大村に向かう途中、吉田村を流れる羽口川の上流、鳴川谷にさしかかった時に、
部下のひとりが大声で叫んだ。
川の底に、白く光る石を発見したのである。
隆信公は兵を止め、川底を改めた。
これが我が国最初の磁鉱石であるという。
この当時、日本にはまだ本当の磁器はなかった。

朝鮮陶工、吉田山で陶業をはじめる

数年後、鍋島直茂公は朝鮮半島から多くの陶工を連れ帰り、
そのうちのひとりを吉田山へ送りこんだ。
陶業を創めようとするが、隆信公が発見した磁鉱だけでは足りずに
吉田村皿屋鳥居原に陶土を求めた。
これを加えて、初めての陶磁器が作られたのである。
その後、皿屋付近は12戸の製造者ができるまでになるが、
寛永年間に李参平が有田・天狗谷に磁鉱を発見すると、
陶土のほとんどが有田にて採れるようになり、
吉田山はこのあおりを受けてしまう。
人材、燃料の不足が起こり不況にたたされるのである。

鍋島直澄、大いに陶業に力を注ぐ

鍋島直澄公の時代、直澄公は陶業の将来性に着目して、大いに振興に力を入れている。
有田南川原より副島、牟田、金江、家永の四氏を派遣して指導にあたらせた。
小窯を廃止して大窯を造り、物資の補給など、多くの優遇措置をほどこしている。
藩政をゆずった後も永く陶業の発達に力を入れるよう計画まで立てている。
吉田焼を含めた、いわゆる有田焼が永遠の発展をするための基礎が、
直澄公によって確立されたのである。

天草陶石の輸入

正徳二年の天草磁鉱の発見は、陶業界に革新の光を投げかけた。
吉田山も、塩田港から天草陶石を輸入することにより、製品の質が向上していった。
さらに藩命により御用焼の指定を受けると、一層の技術進歩がみられ、
優れたものが生まれるようになる。

大阪との取引開始と不景気の襲来

文化・文政年間(1804年頃)に入り、大阪方面との取引が始まると、
吉田山は大いに潤い、品不足になるほど空前の隆盛を迎えている。
しかし天保の初めの頃(1830年頃)には生産は過剰となり、
価格は下落して経営が困難になるが、
好況時代に慣らされた豪勢な暮らしぶりはさらに悲境へと拍車をかけていく。
他の陶業地が好機に向かうきざしを見せ始めても、
すでに資力が枯渇してしまった吉田山には打つ手がなかった。
この状況を見かねた藩主は、尾形惟晴を派遣して再興の策をうつことにした。
復元に成功した吉田山は以来、一盛一衰にて明治維新を迎える。



肥前吉田焼の歴史2







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